昔からの「結」精神を引き継ぐ 自立分散型組織の農業スタイルとは?

昔からの「結」精神を引き継ぐ
自立分散型組織の農業スタイルとは?

「横田農場以外の組織を知らないから」と遠慮がちに語る横田修一さんは、大学卒業後、実家の横田農場へ就職。当時20haほどだった農地は約20年で160haにまで拡大。現在は、いくつかの栽培方法を融合させながら、一人一人が自主的に、そして能動的に働ける「自立分散型」組織を築き、11種の米を11名で育てている。先代にリスペクトしながら、今の時代にマッチした農業についてお話を伺った。

 

 

横田修一|SHUICHI YOKOTA

1976年、茨城県生まれ。

有限会社横田農場 代表取締役。大学を卒業後、すぐに横田農場へ就農。物心ついた時からトラクターに乗る父の姿に憧れ、就農を決意していたという。1996年に法人化し、1999年お米の無農薬有機栽培を開始した。2008年1月から代表に就任し、農地を拡大しながら直販や米粉スイーツの製造・販売もスタート。2013年には表彰制度の中でも最高位の『第52回農林水産祭農産部門 天皇杯』を受賞。地域とのつながりを大切にしながら、「自立分散型」組織での農業に取り組んでいる。

 

父は憧れ。農業をやる以外の選択肢は考えていなかった

稲作に携わる父の背中を見て育ち、憧れていたという横田修一さん。幼い頃は、両親が10haほどの農地でお米を育てていたそう。稲作でも機械化が始まったばかりの頃、地域の中でも早々に機械を取り入れたという横田さんの父。それがある転機をもたらした。

──横田さんが就農するきっかけを教えてください。

横田修一さん(以下、横田さん):父がトラクターに乗って田んぼに出かける姿が本当にかっこよくて、大人になったら百姓になると決めていました。特に両親からは「あなたが継ぎなさい」とは言われていなかったのですが、僕の性格をわかっていたのか、言われないからこそ自分から「やりたい」と就農への道を選びました。

──そうだったんですね。横田さんが幼い頃の横田農場の規模はどれくらいでしたか?

横田さん:父と母の二人で営んでいた頃は10ha程でした。でもこの地域の中でかなり早く農業機械を導入した農場だったんですよ。

──まだほとんど手作業だった頃に先進的だったんですね。

横田さん:そうなんです。機械があったから、「うちの田植えをお願いしたい」と近隣の農家さんから言われるようになって、作業受託が増えたそうなんです。委託されるのはコシヒカリの作業だったので、自分の田んぼと時期が被ってしまったんですよね。委託にも応えつつ、稲作もできないか? と父が考えた結果が、多品種栽培・作期分散だったんです。作業受託で売り上げも安定するし、品種の特徴を知れる良いきっかけになりました。本当だったら、自分の田んぼで一番単価の高いコシヒカリを育てたかったと思うんですが(笑)、人のためにやったことが、結果自分にも返ってきたんだと思っています。

──当時ではかなり戦略的な農家さんでしたね。実際に横田さんが就農されてからは、どうやって160haまで拡大されたんですか?

横田さん:意図して農地拡大をしていったのか? と聞かれるんですが、特別なことをやってきたつもりはありません。「自分たちができることをやってきた結果」と言ったほうが正しいかもしれません。僕たちがいる茨城県龍ケ崎市は、高齢化に伴って、稲作をやめていく人が多い地域でした。若い世帯は住んでいるけれど、東京近郊で働くサラリーマン世帯が中心なので、農業に関わる人はほぼいません。そのため、意図的に規模拡大を狙っていたわけではなくて、農業をやめていく人たちから「横田さんのところでお願いできないか?」と相談されて、それを引き受けてきた結果が160haだったんです。

──なるほど。地域の方との信頼関係があってこその拡大だったんですね。

横田さん:僕は就農してからまだ21回しか米を作れていないんですよ。地域の先輩方は僕よりもたくさんのノウハウも持っているし、経験もされています。自然と、先輩方から学びたい! という気持ちになるじゃないですか? 色々と教えてもらっているうちに、夏場の暑い時期に「ほら、アイスだよ」って差し入れをくれたり、昔話を聞かせてくれたり、関係性が深くなってきました。“地域のつながり”って簡単な言葉で言われますけど、日頃から良好な関係があれば、先輩たちが田んぼを手放そうと考えた時に「横田の若い人たちに頼もうかな」って思い浮かべてもらえるのは本当にありがたいことですし、信頼が積み重なって結果に繋がったのだろうと思っています。

直販をスタートしたことで聞こえてきた、消費者の声

15年ほど前から直販をスタートさせた横田農場。実際にスーパーで販売したり、通販を始めた経験を重ねていくうちに「お客様のために」という気持ちが芽生えてきたという。

──横田農場さんは早くから「直販」をスタートされていますよね。

横田さん:最初に「やりたい」と言い出したのは、父だったんです。農協に出せば、他の米と一緒にされてしまってブレンド米になるけど、自分が作った米は、自分の責任で、そして自分の手で売りたいと。

──素敵ですね。でも、わからないことが多かったのではないですか?

横田さん:はい。私も大学を卒業してすぐ「お前が米を売れ!」って言われたもんだから、営業なんてしたことはありませんでした(笑)。ホームページやチラシを作ってみたり、百貨店やショッピングモールでイベント出店をしたり、すべてが手探りでした。でも今となっては、その経験がすごく役立っています。農協に出荷している時は、とにかく“一等米”のハンコをもらうことがゴールだったけれど、直販では買ってくれたお客様に「美味しかったよ」と言ってもらえるところがゴールに変わったので、仕事への取り組み方も変化してきました。

──その経験は本当に貴重ですね。

横田さん:有機JASを取得したり、特別栽培米に取り組むようになったのもお客様のニーズに答えるためでした。「横田農場の米の特徴は?」と聞かれた時、最初は答えられなかったんです。「うちの米は最高な米なんです!」って言ってもそれは独りよがりだし、お客様は評価してくれない。ダイレクトにお客様の声に触れたことで、成長させてもらったことがたくさんありました。

──利益も出さなければいけないから、ニーズに応えるだけでは難しい部分もありますよね。

横田さん:米農家としてやるべきことは、いい米をたくさん作って、少しでも高く売ることだと思っています。規模拡大はその中でもキーにはなりますが、コストをかけずに少ない設備で、効率的に農業を進める。そのためには、安定的に栽培できる方法が必要だし、常に技術の蓄積をしていくことも大切です。直播栽培や、いろんな品種を育てているのもそのためです。ここ5年くらいは、省力化よりもいかに効率的に作業分担して、従業員たちと共に考えてお米作りをしています。

 

ひとりひとりが考え行動する自立分散型組織が農業の基本

現在11名いる横田農場は、それぞれが役割を持って仕事に取り組んでいる。誰から言われるでもなく自分がやるべきことを把握し、実行するのは、昔から農村に伝わっている「結」の文化が礎にあるのだと言う。横田農場が目指すのはどこなのだろうか。

──横田農場が大切にされていることを教えてください。

横田さん:「自立分散型」の組織ですかね。うちには朝礼もないんですよ。メンバーも誰かからの指示を待つ人はいなくて、必要に応じて自分がやるべきことに取り組んでいます。春が一番忙しいですが、晴れている日曜日に「休みます」とか言っちゃう人はちょっとうちの組織とは合わないかもしれません。

──最近だとそういうのがタブーという会社も多いですよね。

横田さん:もちろん、子どもの運動会だとか優先すべきことがある人は別ですよ。でも月曜日に雨が降るってわかっているのに、天気がいい土日に休んで月曜に出社して何もしないって言うのは「百姓の感覚じゃないな」って正直、思ってしまいます。僕らがやっていることって仕事ではあるけど、目標としているのは全員で“いい米”を作ること。休みだから休むとかではなく、“いい米”を作るために今自分は何をするのが最良かわかる人っていうのが重要で、誰かから「やれ」と言われたからやるのとは違うんですよね。昔の農村では「結」って支え合うような組織が当たり前にあったんですけど、その感覚に近いかもしれません。 田植えの時期になったら自然と「結」の組織の人たちが集まってきて、阿吽の呼吸で作業が進められていく……。お互いを信頼していないとできないことだし、ひとりひとりが自分の役割を理解していて、“いい米”を作るという共通目標に向かって進んでいけるそんな組織ですね。

──なるほど。それが天皇杯受賞にも繋がったのでしょうね。

横田さん:ありがとうございます。天皇杯は変に意識しないようにはしているんですけどね(笑)。

── 最後になりますが、今後の目標を教えてください。

横田さん:今までもこれからも基本にあるのは、自分で作って売って利益を出すこと。メガファームを目指す中でも政策や補助金に頼ったりせず、地域から求められたことに応える中で拡大したいと考えています。これからは、スマート農業などの発展によって今より効率的に農業ができるようになると思います。メーカーさんも頑張っていらっしゃるけど、もっと現場と二人三脚でスマート化を目指していかないと、トンチンカンなスマート農業になってしまうような気もしています。時代も環境も昔とは大きく変わっているので、海外の農業とかも参考にしながら、柔軟に、時にはこれまでの農業を疑いながら成長していければと思っています。

──海外の農業ですか?

横田さん:海外から日本も学べることはまだまだたくさんあります。コロンビアとかは、3品種くらいタネを混ぜて植えてますからね。どうせブレンド米にするならありじゃない? って思えるんですけど、日本ではやっていない。また、世界でも高水準な「栽培技術の輸出」も必要だと思っています。日本の農家さんが当たり前にやっていることでも、海外から見たら非常に高度なことをやっているなんてことがたくさんありますから。こういった技術の交流が今後は鍵になるでしょうね。

 

編集後記

横田さんとお話ししていると、とにかく稲作が大好きなんだろうという百姓の情熱が伝わってきた。今までの常識を疑いながら、目の前のできることをコツコツと積み上げていく…。このペースだと数年後には1000haも夢ではないだろうと感じた。先の先を見つめるお米未来人だった。

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