農業をなりたい職業No.1へ 若い世代へ発信し続ける10代目の想い

農業をなりたい職業No.1へ
若い世代へ発信し続ける10代目の想い

代々米農家だったという石川県の有限会社たけもと農場。代々農家であった竹本家の10代目を引き継いだのは、現在37歳の竹本彰吾さんだ。約50haの経営面積を7名で運営しながら、米・大麦・大豆の他に、国産イタリア米を生産したり、常に自作の青いTシャツを着て講演したり、たけもと農場のグッズ販売を行ったり、「青いTシャツ24時〜農業系ラジオ〜(https://anchor.fm/aot/episodes/1-egh6vc)」という音声配信をしたりと、「稲作農家」のイメージを一新させるようなアプローチする生産者だ。今、さまざまな業界から注目を集める竹本さんに、稲作の未来を伺った。

竹本 彰吾|SHOGO TAKEMOTO

1983年、石川県生まれ。

江戸時代から続いている石川県のたけもと農場の10代目。祖父が「米作日本一技術者賞」を受賞し、父親も石川県では知る人ぞ知る有名人。そんな稲作サラブレッドが掲げる夢は「農業をなりたい職業ナンバーワンにすること」だ。高校3年生で就農を決意し、大学在学中に父親から『事業継承10年計画』を提示された。現在は父親から事業を引き継ぎ、代表として水田を守り育みながら新たに生産を始めた“国産イタリア米”を全国300店舗以上の飲食店に卸すなどチャレンジングな日々を過ごしている。2020年から音声配信『青いTシャツ24時〜農業系ラジオ〜』もスタートさせ、新規就農希望者や若手生産者のロールモデルとして注目を集めている。

周囲の期待に応えるのが仕事における一番のやりがい

姉が二人の末っ子長男として育った、竹本 彰吾さん。幼い頃からなんとなく「男の俺が後を継ぐんだろう……」と意識していたそうだ。そのぼんやりとした想いは、高校3年生の時に言われた父親からの言葉で確信へと変わる。

──竹本さんが10代目ということで、長い歴史あるたけもと農場さんですが、幼い頃から「俺が後を継ぐぞ!」と考えていたのでしょうか?

竹本 彰吾さん(以下、竹本さん):幼い頃は、ゴールデンウィークのお祭りにも行けず、田植え、夏休みも苗箱洗いをしていました。自発的にやっているというわけではなくあくまでも「手伝わされている」という感覚。でも親戚も多かったので、みんなでワイワイ田植えしたりするのは楽しい思い出として残っていますよ。僕には二人の姉がいるんですけど、幼い頃から「あんたわかってるよね?」なんて言われていたので(笑)、本当ぼんやりですけど、継ぐんだろうなぁ〜とは考えていました。

──大学在学中に先代のお父様から『事業承継10年計画』を提示されたそうですが、実際に「やるぞ」と決意が固まったのは何歳くらいなんでしょうか?

竹本さん:高校3年生ですね。今でもはっきり覚えているんですけど、バスケ部を引退したタイミングで父親に呼び出されまして、仏間に。

──おおぉ〜何か大きな話が始まりそうな予感がしますね(笑)。

竹本さん:そうなんですよ、テーブルを囲んで二人きりで。「なにが始まるんだろう?」と思ったら、札束がドーン! と置かれて、『世間では農家は儲かっていないと思われているけど、儲かっているんだぞ』とたけもと農場のプレゼンが始まったんですよ。今、うちは約1000人のお客様と、100人以上の地主さん、さらに農協さんや集落の方々、全国の農業仲間、たくさんの人に支えられて経営が成り立っているんだと語り始めたんです。

──高校3年生に札束は響きますよね! 実際に話を聞いてみて、考え方は変わりましたか?

竹本さん:直接お願いはされていないけど、「ははーん、これは後を継げってことだな」って察しましたね(笑)。もともとぼんやりと「継ぐんだろうなぁ」とは思っていたんですけど、その父親の熱烈プレゼンの中で『周囲の期待や注目に応えていくことが仕事のやりがいだ。進学後、就職先を選ぶ時にお給料とか休日だとかそういう枠組みに目がいってしまうと思うけど、仕事はそういうことじゃないと頭の片隅に入れておいてくれ』って言われて。その場で、「後、継ぎます」って宣言しました。

──お父様も嬉しかったでしょうね。『事業承継10年計画』を早々に作られた気持ちもわかる気がします。

竹本さん:後日談なんですけど、その札束のお金って会社の利益分とかじゃなくて、短期借入金があった時だったみたいで、父親も「いっちょ見せたろ!」くらいなことだったらしいです(笑)。でもどんなお金であれ、心には響きましたけどね。その『事業承継10年計画』についても当時の父親もまだ50代だったので、自分ではまだ早いでしょと思っていたみたいなんですけど、お世話になっている中央農研の先生から「ゴールを決めておけば、見えてくるものがあるから」と65歳を定年として作ったみたいですね。

国産イタリア米の生産や6次産業にチャレンジ

たけもと農場では米52ha、大麦4ha、大豆4haを7名で運営している。近隣の集落では高齢化が進んでいるため、今後経営面積は伸びていくと予想しているそうだ。経営するだけでも大変な中、新しいことにチャレンジする背景を伺った。

──サイトのURLが「okomelove.com」だったり、日本生まれのイタリア米を作られていたり、リゾットキットを販売したり、10代目の渋い農家さんというイメージよりも今っぽいというか……今日も青いTシャツを着ていただいてますが、社員さんと同じT
シャツを着ているので、立場の垣根もなくフラットでフットワークも軽い印象がありますよね。

竹本さん:祖父も天皇杯をもらっていたり、父親もたけもと農場の創業者なので、すごく僕自身が恵まれていると感じることが多いんです。そこにあぐらをかいていたらダメになるってわかっているので、手を替え品を替え稲作産業にとってプラスになるようなチャレンジはどんどんしていきたいし、発信しなければという使命を感じています。青いTシャツを着ているのも、最初は学園祭みたいなノリで作ってみたのがきっかけなんですけど、今やどこへ行くにもこのTシャツです。でもこれだけ胸に「たけもと農場」って書いているのに、なかなか名前を覚えてもらえないんですよね(笑)。

──たけもと農場さんのユニフォームは「青いTシャツ」という強い印象がありますが、お米の品種での強い印象は国産のイタリア米もありました。イタリア米を始めたきっかけを教えてください。

竹本さん:知り合いのシェフから「イタリア米作れる?」という相談を受けて、「はい!」と答えたのがきっかけですね。肥料も何が合うのかわからないままでしたが、実際に栽培を始めてみたら「なんとかなる!」と実感できました。育ててみると日本のお米とは明らかに違ってて、草丈も大きいものだと160cmまで伸びるのに、倒れなかったり、違う品種を育てることで気がつくことっていっぱいあるんだなと感じています。イタリア米は今年で10年目で6haくらいで栽培していますが、3年前からスペイン米も栽培しているので、これからもいろんな国のお米を育ててみたいと思っていますね。

──グローバルなお米生産者としては新しい試みですね! これからの可能性に期待しています。でも、国産イタリア米の誕生はシェフの無茶振りからのスタートだったんですね。収穫したお米は、どのように販売されているんですか?

竹本さん:直販サイトでの販売も行っていますが、イタリア食材の問屋さんにも卸しています。量で考えれば全国300店舗くらいには使っていただけているのかな? と思っています。今年はコロナの影響もありましたが、その分直販サイトでの売り上げで補えました。

──そうなんですね! とは言っても「イタリア米」って一般消費者にはなかなか使い方がわからないと困惑する人も多いような気もします。リゾットってちょっと家庭ではハードル高い料理ですよね。

竹本さん:イタリア米の販売を始めた頃から「リゾットにすると美味しいよ」と近所の方に配ったりしていたんですけど、反応が薄いなぁ〜というのはありました。やっぱり米だけあっても、普段の食事で「リゾット」って作る機会がないから、難しいよなぁ〜と思っていたんですよね。もっと手軽にリゾットを楽しめないかと考えていた頃、大学生の実践型インターン(6ヶ月)で来てくれた子が食品加工を専攻している子で、イタリア米に、椎茸・ポルチーニ・ひらたけを加えたリゾットキットを開発してくれたんです。

  • ※商品開発をした新入社員の岩井悠(いわいはるか)さん

──学生インターンのアイディアがしっかり商品開発に繋がったんですね!

竹本さん:実は6ヶ月のインターン期間中で商品完成まで持っていけなかったんですけど、「どうしても完成させたい」と強い思いを持ってくれていて、インターンの後は農作業のアルバイトしてもらいながら、完成させることができました。振り返ってみれば、6次化の良い事例にもなったし、新たなチャレンジに繋がったと思います。直販サイトでも本当に人気の商品になっているので。本人も、農大生だったんですが、学生時代には農家に就職するという考えはなかったみたいで。けれどアルバイトしていく中で「農業を仕事にするのもいいなぁ」と感じてくれて、新卒として今年の春から入社してもらっているんです。

──商品開発から採用にまで繋がるとは……! 若手育成が難しいと言われている中とても素敵なお話ですね。

竹本さん:そもそも農大生の子ですら、「農業」が就職先に入ってこないんだと、その子と話をしていて気がつくことがたくさんありました。実際に農業を体験してもらえれば楽しさや魅力を伝えられる自信があるので、この能美市という恵まれた環境で農業できている分、これまで以上に発信力を高めて、若い子たちに農業の魅力を届けていきたいという使命感を感じています。

農業を「なりたい職業」ナンバーワンに

先祖たちが残してきた土地を生かしながら、そこに甘んじることなくチャレンジを続ける竹本さん。思い描く未来について伺った。

──竹本さんには、お子さんもいらっしゃいますが、自分がお父様にされたように、仏間に呼び出す予定はありますか?(笑)

竹本さん:いいですね〜(笑)。あと15年くらい時間があるので、こっそり作戦をたてながら楽しみにしていようと思います。

──またその際には取材させてくださいね! 竹本さんのSNSでは、農業を「なりたい職業」ナンバーワンにと伝えられていますが、今後の目標を教えていただけますか?

竹本さん:その目標は変わらずにあります。あとは、農業で独立したいと考えている人は大歓迎なので、うちで修行してもらって地域の担い手を増やしていきたいという考えもあるんです。この周りの集落だけで考えても高齢化は迫っている状況は目に見えています。けれど、いきなり「継がせてください!」なんて実績の無い若者に田んぼを任せるなんてことはなかなかできないと思うので、先代の方々が思わず頼みたくなっちゃうような優秀な若者たちを育てていきたいと思いますね。「たけもと農場さんで頑張っているあの〇〇さん、うちの田んぼの面倒も見てくれないかしら?」なんて声が掛かるようになったら嬉しいですよ。

──なるほど! 今、集落営農の担い手不足は大きな課題ですが「一体、誰がやるの?」って積極的になっている人は少ないのが現状ですよね。あえてそこを狙い、さらに新しいチャレンジを続けている理由はありますか。

竹本さん:集落営農って設備も組織も整っているので、真面目に頑張ってくれる担い手さえいれば、農業は続けられるんですよね。任せた人も安心ですし。任せたい若者、担い手を増やすためにも人材育成の仕組みを整えていきたい。そのためには、農業が魅力ある職業になって、「なりたい職業」ナンバーワンを目指したいんですよね。

──10年後、20年後が今から楽しみになりますね。

竹本さん:そうですね。あとは、音声配信「青いTシャツ24時〜農業系ラジオ〜」では農業後継者に向けたメッセージ的な配信や、中小零細企業の生き残り的な軌跡、青いTシャツを構築する考えなどを伝えています。現在では、20代後半〜30代前半の農家さんに聞いてもらっているんですけど、裾野を広げて全国にいる後輩たちにメッセージを残していきたいです。引き続き、新規事業にも力を入れながら、たけもと農場を盛り上げていきたいですね。

編集後記
竹本さんはチャレンジを続けながら、全国農業青年クラブ連絡協議会の顧問としても活動している。10代続く農場を守りながらも進化させていくために、事業継承の大変さも実感しながら、新規就農者が働きやすい環境づくりにも力を入れている。また、農家同士の交流だけではなく異業者との交流から新たなビジネスチャンスの架け橋となり、10年後には農業を選ぶ若者が増えている未来になっているのではないか? と期待せざるを得ない。

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