”仲間”と”技術”で儲ける稲作を実現 庄内平野は俺たちが守る!

”仲間”と”技術”で儲ける稲作を実現
庄内平野は俺たちが守る!

「米農家は儲からない」「若手がいない」そんなネガティブな言葉が飛び交う昨今だが、そんなことはどこ吹く風で、若手との横の繋がりを庄内で広げながら、経営面積規模を拡大し、儲かる農業を実現している若手生産者が山形にいる。(有)米の里 取締役の齋藤弘之氏だ。彼のこれからの稲作について話を伺った。

齋藤 弘之|HIROYUKI SAITO

1978年、山形県生まれ。

高校を卒業後、自衛隊に入隊。結婚後、さくらんぼ農家を手伝ったことをきっかけに、農業の魅力を感じ、農業系企業の営業職に。父親の紹介で(有)米の里の代表と出会い「庄内平野を枯らさない自信はあるかね?」と問われる。地域を守る代表の考え方に共感し、2008年(有)米の里での稲作就農を決意。2017年には若手生産者と共に活動を行う「F.A.I.N(ファイン)」を結成。同じ志がある仲間と共に活動しながら、自身の経営面積も拡大にも努めている。

「え、農業ってこんなに儲かるの?」という驚きからのスタート

高校を卒業後、自衛隊に入隊。農業とは程遠い暮らしをしていたが、親戚のさくらんぼ農家を手伝ったことがきっかけで、農業に興味を持ち始める。

──齋藤さんが就農したきっかけから教えていただけますか?

齋藤 弘之さん(以下、齋藤さん):ずっとプラプラしてて(笑)。きっかけだと、奥さんの親戚のさくらんぼ農家を手伝った時に「あ、面白いかな?」って思ったことですかね。

──今の齋藤さんからは想像できませんが(笑)、稲作がしたい! という思いから始めたのではなく、さくらんぼだったんですね。

齋藤さん:そうなんですよ。バイト感覚で3ヶ月くらいかな? 手伝っている中で「面白いな〜」とは思うようになった頃、「ちょっと記帳してきて」って通帳を渡されて。子供のおつかい感覚で記帳し始めたら、通帳の印字が止まらないんですよ。通帳3冊分になってしまって、「え、農業ってこんなに儲かるの?」って驚いちゃったんですよね。

──気軽な感じでお手伝いしていたけど、農業はすごいお金を稼ぐことができるかもしれないと思ったのですね。

齋藤さん:そこからは「農業系の会社に就職したい」と思い、最初は農業肥料の営業の仕事を始めていたんですが、そんな時に「庄内に10haの田んぼがあるけど、後継者がいない」って話を父親づてに聞きまして。「一回、会ってみるか」って行ったのが今働いている(有)米の里だったんです。

──なるほど。当時は何歳ですか?

齋藤さん:30歳になる前ですね。そこで話を聞いてみたら「齋藤くん、キミは庄内平野を枯らさない自信があるかね?」って言われて。最初は「何を言ってるんだ?」って思っちゃったんですけど、話を聞いているうちに自分の儲けだけじゃなく、地域を守ろうとしながら働いているんだって熱い想いに共感してしまって。給料だとか契約の話をする前に「枯らさないよ」って引き受けちゃったんですよね。

──即答したのですね(笑) 地域も違うし、結構大きな決断でしたよね。稲作もやったことがなかったのに、後継者になるとは。不安はありませんでしたか?

齋藤さん:最初は何もかも見様見真似でした。最初の2年間は周りの人にたくさん教えてもらいながら、この集落のルールとか、栽培の手順やスケジュールとか、がむしゃらでした。当時は農機具の借金等もあったので、月8万円くらいしか手取りが出せなくて、夜や農閑期にはアルバイトもやっていました。
なんとかお米だけで生計を立てるために「直販しなきゃ」と思い、東京都内の米屋さんを自転車にのって営業したこともあります。自転車なので、スーツ着ている余裕もなくジャージ姿で営業していました(笑)。約400件回りましたが1件しか取れず反省の日々でした。というのも2008年頃って東京では「福島米」の需要が高かったから、どこも「山形でしょ? いらないよ」って断られてしまっていたんですよね。

──そうだったんですね。ちゃんとマーケティングしないといけないわけですね。でも、自転車ジャージ姿営業には頭が下がります。

齋藤さん:で、ふと、神奈川県の方に営業先を変えたら10件で7件取れたんですよ。あぁ〜俺行くエリア間違えていただけだったと気がつきました(笑)。その後、東日本大震災もあって、「山形のお米も欲しい」と以前まわっていた都内のお米屋さんからの需要が増えてきて、あの時のジャージ営業が無駄にならず、大変な時期でしたけど支えになりましたね。

就農時10haが60haまで拡大。目標は、45歳までに100ha

後継者になってすぐ10haほどだった水田も、現在は60haを4人の従業員でまわしているという。全て密苗栽培。年々、経営面積は拡大しているとのことだが、どのような方針で進めているのだろうか。

──現在は、どんな品種をどれくらい栽培されていますか?

齋藤さん:品種については、最初7種類のお米育てていたので、贈答用の箱に7つをキレイに納めたいと思っていたのですが、実際には9種類にした方が箱に収まりやすかったこともあって、現在は、つや姫・雪若丸・コシヒカリ・ミルキークイーン・ひとめぼれ・あきたこまち・ササニシキ・はえぬき・山形95号の9種を食べ比べセットとして、通販サイトでも販売しています。

──今でもササニシキを栽培しているのは珍しいように感じますが……。

齋藤さん:これはお寿司屋さんからの需要もあってやっています。まだまだファンはいるので、続けたいと思っている品種のひとつです。

──栽培方法はどのようにやられていますか?

齋藤さん:定番は、密苗栽培ですね。自分たちの中で一番しっくりきているので、60ha全部密苗。しかし、これからは面積も増えていくので乾田直播も少しづつ増やしいく予定です。春先、土にこだわるようになってから、他の田んぼがまだ湿っている状態でも、うちの田んぼはしっかり乾いているので、より早いスタートが切れるというのもポイントですね。

──作土層の深さに拘っているのですね?

一般的には代かきして平均13cm程度の作土層に田植えをする方が多いと思いますが、その場合はガスが発生してしまい微生物がいなくなっているケースがあるのです。でも、うちでは秋にプラウで25cm越しているので、根がしっかり貼ることができて、異常気象にも強くなり、ご近所農家さんより「お前のところの稲は生き生きしているな」とベタ褒めされています。

秋にプラウで25 cmすると、最初は鉄分を含んだ真っ青の土が出てきて、徐々に酸素を吸って微生物が活性化してくれて、自然の窒素が出てくるのです。そして春にロータリーで耕し作土層をしっかり整えるようにしています。

──作土層を深くすると、そんなにも変化するのでしょうか?

そうなんですよ。うちも最初は10俵取れていた圃場なのに段々と9俵ぐらいしか取れなくなってきたことがあったのです。そんな時に、あるベテラン農家さんに作土は丁寧に深く耕せと言われました。そのベテラン農家さんは常に12俵以上取れる圃場で、稲は抜こうとしても根が張っていて抜けず、半袖で田んぼに入ると稲が硬すぎて、肌が切れちゃう程なんです。強い稲を作ることが、収量U Pにもつながることを理解し、今ではその農家さんから教えてもらったケイ酸と堆肥は切らさず、プラウ25cmを意識してやるようになりました。ちなみにその圃場は今では11.3俵まで収量が取れるようになりました。

──従業員さんは若い方が多いんですか?

齋藤さん:60haを4人でまわしていて、平均年齢は30代前半くらいですね。「45歳までに100haやる!」って僕だけで決めていても、力を貸してくれる従業員がいないと実現は難しい。雇用に関してはありがたいことに非農家出身でも「農業やってみたいです」って熱い思いを持って来てくれる人もいるんです。でも、入社をしてもらう時期で継続できるかが変わってきます。

──採用時期で継続が変わるのですか。

齋藤さん: 4月の田植え時期直前に入社したい! と来てくれた人が途中で辞めちゃう人が多いのです。

──えーなんでですか?

齋藤さん:いい人だったのに、「ほら辞めた」っと感じの確率なんですよね(笑)。どうしてか考えてみると、4月雇用すると田植えでいきなり忙しい。自分の100しかない能力を慣れない環境で150以上求められるので、6月まで続けられないんですよね。でも10月雇用だと、2ヶ月頑張れば次の田植えまでの3ヶ月は「ゆっくりしてていいよ」となるから、その休みの存在を知っているか知らないかは大きいとわかりました。今は、従業員もいるので、横のつながりもあるし、分担できますが、最初の頃は「なんでかな?」って悩むところでしたね。

──確かに「これがずっと続くの?」って思うのと、「1年の中でも頑張る時期と休む時期がある」ってわかっているのとではモチベーションも変わりますからね。これから規模拡大をしたいと考えている生産者さんには、採用の時期のポイントになることはお伝えしておきたいですね。

齋藤さん:そうですね。うちで5年続けているスタッフは、もう全て一人でできるレベル。あとはボーナス以外に、スタッフに任せている圃場に関して、目標の9俵以上のお米が収穫できた分を会社と折半しています。その場合は現金かお米か好きな方を選んでもらって支給しています。

──ボーナスの他に、自分で現金かお米を選べる制度なのですか?

齋藤さん:はい。農業はちゃんと儲かるぞってことを従業員にも知って欲しいですし、研究しながらコツコツやっていけば、水管理や日常業務、農機具なんかも粗末にはできなくなるし、自分が担当している水田が増えていくほど報酬にもつながります。

──収入が上がれば、スタッフさんのモチベーションもアップするわけですね?

齋藤さん:そうですね。その制度で儲かる仕組みがわかってくると、多少大変な時期があっても、モチベーションは保てると思いますね。その先に僕が目標としている、45歳で100haにも近づきますしね。

未来しかない稲作を、仲間と共に

2017年、齋藤さんたちは近隣の稲作農家仲間と共に稲作経営の知識・技術・情報の共有をはかる、若手生産者組織「F.A.I.N」を立ち上げた。現在は、齋藤さんの1つ下の後輩で、高校時代から縁深い斎藤勝幸さんが代表を務めている。ここからは、代表の斎藤さんも交えながら「F.A.I.N」について、そして稲作の未来についてお話を伺う。

──「F.A.I.N」の代表である斎藤勝幸さん(文右衛門農園)にもお越しいただきましたので、ここからは「F.A.I.N」についてお伺いしたいのですが、具体的にどのような活動をされていますか?

斎藤勝幸さん:「F.A.I.N」は2017年に結成しました。このまま集落から先輩たちがいなくなって、若手の生産者が孤立していくのは目に見えていたので、悩みを共有できる横のつながりを作ろうと結成しました。勉強会に参加したり、みんなで飲んで語りあうんです。高校からお世話になっている先輩の齋藤さんも初期からのメンバーですが、9人から始まって現在19人まで広がりました。全員の水田を合わせたら500haほどありますが、2000haまで広げたいと目標を立てて活動しています。

──すごい! 目標もはっきりしていますね。「僕も入りたい」と思う人もいるのではないでしょうか?

斎藤勝幸さん:入りたい方は、まず盃を交わす……(笑)から始まりますが、年間活動費に8万円かかるので、その金額を支払う度胸がある人のみ受け入れています状態です。

  • ※「F.A.I.N」の代表である斎藤勝幸さん(文右衛門農園)

──まあまあ勇気がいる金額ではありますよね。その8万円の活動費というのは、具体的にどんなことに使っているんですか?

齋藤さん:東京で行われる勉強会や研修の参加費に企てたり、「F.A.I.N」のユニフォームが配布されたり、あとはやっぱり飲み会経費ですね(笑)。でも、実は8万円以上の効果があることばかりで、グループで共同購入(肥料や除草剤などの資材)ができるので、圃場が大きければかなりお得なことが多い筈なんです。

──「F.A.I.N」の会員のルールは他にもあるのですか。

斎藤勝幸さん:会社ではないですが、横のつながりがあることで得られる知識や経験は強いと感じます。ルールとしては、メンバーになったら50歳で定年することと、同じ集落ですでに「F.A.I.N」に入っている若手がいたらお断りしているくらいですね。

齋藤さん:同じ集落のライバル同士が入れないのは野望の本音が語れなくなってしまうからです。その集落で圃場が出てきた時に同士で揉めたくもないですからね。

斎藤勝幸さん:また、メンバーの中には、JAに卸している人もいるし、直販している人もいるし、有機栽培している人もいます。そんな様々な経験を持った仲間と知恵を共有して、「あれいいね」「これもいいね」って情報交換していきながら、各メンバーが経営する面積と収穫量を増やし、次世代の経営者を育てていきたいと取り組んでいます。

──仲間同士で育てていく取り組みが素晴らしいですね。勉強会というのは、他県にお邪魔したりするのでしょうか?

斎藤勝幸さん:山形のように雪が降る地域の生産者さんの現場や、興味がある生産者さんの所にお邪魔しています。東京で開催される勉強会にも参加して、情報発信・交換を行うようにしています。

齋藤さん:あと新潟にも「F.A.I.N」と同じような活動をしている『魚沼ブラザーズ』がいまして(https://www.facebook.com/1824386491135601/posts/2438051129769131/)。彼らが、会いに来て交流することもあります。

──他県にも「F.A.I.N」の輪が広がっているんですね!

齋藤さん:そうですね。輪の広がりと合わせて、できることもどんどん広がっているように思います。理想は、この地域でも10歳くらい下の若手が「F.A.I.N.を越えるぞ!」って切磋琢磨できるとさらにいいなぁと思いますけどね。代表に問われた「庄内平野を枯らさない自信はあるかね?」のアンサーにもなると思うので。

──素敵ですね。お二人にそれぞれお伺いしたいのですが、ズバリ稲作に未来はあると思いますか?

齋藤さん:未来しかないですね。

斎藤勝幸さん:僕も同じく未来しかないと思っています。

──儲かる稲作は、実現できると確信に変わりますね。

齋藤さん:はい。僕たちはどんどん情報はオープンにしていくし、シェアしていく気持ちなので、視野を広げながら、いい仲間ともっと出会って、この水田を守り育んでいきたいと思います。

編集後記
心に熱い思いを秘めながら、着実に実行していく齋藤さん。そんな彼の背中を見て全国の若き仲間が相談に来るという。今までの常識や当たり前を追っているだけでは成長できない。彼のように未来を切り拓いてく存在が、農業界には必要だと改めて痛感した取材だった。

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