稲作に失敗はない! 経験を積み重ね、次の世代にバトンをつなぐ

稲作に失敗はない!
経験を積み重ね、次の世代にバトンをつなぐ

熊本県阿蘇市にある有限会社 内田農場は、前社長の代に養豚と稲作の複合経営からスタートした。1991年の大水害で養豚場の立ち退きを余儀なくされたが、「地域農業の受け皿が必要」と稲作一本で再スタート。1995年に法人化し、2014年から二代目として内田 智也さんが代表に就任した。しかし2016年に発生した熊本地震で農地の半分以上に被害を受けてしまう。想像を超える絶望の中でも、前向きに歩む内田さんにたくさんの応援が集まり、現在では作業受託も含め60haの農地を管理。「稲作農家を魅力ある産業にしたい」と語る内田さんに、未来の稲作について伺った。

内田 智也|TOMOYA UCHIDA

1984年、熊本県生まれ。

内田農場の長男として生まれ、高校・大学は地元を離れたが、大学を卒業後、ダンプで迎えにきた父親に連れられ内田農場に就農。2014年から代表に就任し、「新しいものが好きだから」と新しい技術や機械の導入にもポジティブで、阿蘇という地域を生かした農業を行っている。「うまいお米ではなく”日本一使い手から欲しがられる米”」を目指し、楽しみながら稲作に取り組む経営者だ。

自分が命をかけて育てた米が、どこの誰に届くのか知りたかった

「いつか自分が農業を継ぐだろう」そんな思いを抱えつつも、逃げるように高校と大学は県外に進学した内田さん。大学を卒業後、内田農場に就農するが、働き始めた頃は友人も少なく寂しい思いをしたと振り返る。でも、なぜか次の日の朝が待ち遠しい、ワクワクしてしまう自分もいたんだとか。

──内田さんが就農するきっかけを教えてください。

内田 智也さん(以下、内田さん):内田家の長男として生まれたので、「いつか自分が継ぐんだろうな」というのはうっすら感じていました。農業って大変だし、キツいことはわかっていたんですけど、家族や親戚、近所の農家さんもなんだか楽しそうに働いているんですよね。それは不思議だな〜って思っていました。当時は自分がその輪の中にいるというイメージできなくて、逃げるように東京の大学に進学したんです。

──でも、大学を卒業してすぐ内田農場に就農されるんですよね?

内田さん:そうです。親父が卒業式の翌日、ダンプで迎えにきたんですよ。

──それはすごい(笑)。

内田さん:後になって考えてみれば、父親は早くに自分の父親を亡くしているので「親子で農業をする」というのが夢だったらしいんです。楽しみだったんだろうと思いますけど(笑)、驚きましたよ。高校も地元から離れていたし、大学も東京だったので、就農したての頃は友達もいないし寂しい思いもしましたが、なぜか次の朝が待ち遠しいんですよね。朝を迎えるのが、仕事をするのがワクワクできるようになってきたんです。
稲作は未知の世界からのスタートでしたが、親父に連れられて地域の会合に出させてもらったり、日々の業務をこなしていくうちに自分が作ったお米が、どこで誰に食べてもらっているのかが見えてきて、本当楽しくなってきましたね。

──素敵なお話ですね。

内田さん:今となっては学生たちに農業を伝える授業をしたり、インターネットを通じて情報を発信したりしていますけど、農業が魅力あるものになって欲しいという願いは常にあります。
あと農家さんは「ありがとう」とか「美味しい」って言われることが嬉しいっていう人がいますけど、感謝や美味しさの先にある「喜び」に触れたいという思いが強くて。企業さんでも、酒造さんでも、欲しいと思われているモノをちゃんと納品できることを目指したいんです。なんでもいいから美味しいお米を作りたいのではなく、命がけでつくった米を、命がけで売ってくれたり、新たな商品に変えて販売してくれたりする人にうちの米を届けて、喜んでもらいたいという気持ちでやってますね。

──なるほど。作ったお米がどうなるか足跡が見えるようにしたいということでしょうか?

内田さん:ぶっちゃけるとJAさんに出荷した方が楽なんですよ、すぐ入金もあるし、手間もかからないし。母親からも愚痴られます(笑)。けれど、自分が「楽しいな」とか「面白いな」ってことをすると同じ嗅覚を持った人が集まってきて、仕事が生まれるんですよ。そうなると、信頼できる仲間がいる世界で自分の作った米を流通させた方が手間はかかるけど、面白くなるんですよ。
こういった出会いや繋がりの中で仕事をしていくと結果として、どこの誰がどう使って、どんな消費者に届いたかが見えてくるんです。絶対足跡が見えなきゃ嫌だ! と言うことではなくて、そうした方が「面白いから」って感じですね。

さぁこれから! という時に起きた熊本地震

大学卒業後、就農してしばらくすると、父親から「代表かわるぞ」と声をかけられる。突然のことで驚いたが、それ以降父親は現場に入り、経営権は全て智也さんが担うことに。まだまだ引き継いで慣れないことも多い中、2016年に熊本地震が起こった。

──2014年に代表を引き継がれましたが、何かきっかけがあったんですか?

内田さん:急にでしたね。あと経営権を引き継いでから、父親からは何も言われてないんですよ。経営に対してチャチャを入れてくるなんてこともほとんどありません。譲られた方より、譲った方が言いたいこともいっぱいあるだろうしストレスがあるんだと思うんですけど、任せてくれているのはありがたいですね。ま、たまには喧嘩もしますけど(笑)。

──良い関係を築けているんですね! 代表になった後、2016年4月14日には熊本地震も経験されています。他の取材でも『農地の半分以上が被害にあった』とありましたが、当時を振り返って大変だったことを教えてください。

内田さん:行政からは「8割作付けできない」と言われたんですよ。地割れや亀裂だけじゃなくて用水路も破損してしまったので、水が入ってこない。もう種まきは終わっていた頃だったので「もう無理だな」って自分自身も諦めていたんですが、本当たくさんの人に支えてもらえて感謝しています。
僕の場合、専業農家なので「何がなんでも米を作る」という思いもありました。だから最初の籾が取れた時は、泣きましたね。泣くなんて初めての経験でしたよ。けれど、「どうやって田植えしたのか」とか収穫までの工程は全く覚えていないんです(笑)。

──それほど夢中だったんですね……。内田さんの場合、専業農家だから必死に復興作業されたと思うのですが、兼業農家さんの中には「国の支援を待とう」とか「地域で足並みを揃えるべきだ」という意見もあったのではないですか?

内田さん:正直、地域の中でも温度差はありました。「勝手なことをするな」と言われたり、誹謗もありました。けれど「やるしかない!」とやり続けたんですよ。だって、間違ったことをしたわけじゃないし、被害にあったのは自分なわけだし、米を育てられなかったらその年の収入はゼロになってしまう。そんな想いを知っていただいたボランティアの方や、企業さん、販売先さんなど本当にたくさんの方に支えていただけました。

すべては「経験」になる。失敗と感じたことはない

現在、4名の現場スタッフと2名の事務スタッフで60haを回している内田農場。単純計算で一人当たり20haと広い範囲を見なくてはいけないが、そのためには機械化が必要だと語る。今後、就農人口が減っていく中で、私たちができることとはどんなことなのだろうか。

──内田農場さんのホームページを拝見したのですが、とても細かく機械のことや栽培方法について紹介されていますよね。「乾田直播栽培」にも取り組まれているんですか?

内田さん:ホームページは6年前に作ったものなので、あまり更新していなくて(笑)、近々リニューアル予定です。もともとは、機械が好きと言うこともありますが4名の現場スタッフで60haを回していくためには、機械を使いこなさないとやっていけません。土地によって合う・合わないは変わってくると思いますが、例えば今1万人いる農家さんが5000人に減ってしまったとするじゃないですか? 田んぼ管理するためには機械の稼働率を上げないといけません。ひとつの選択肢でしかないですが、内田農場では機械の導入を選んでいる状況ですね。ちなみに「乾田直播栽培」は、今年はやっていないんですよ。

──そうなんですか! かなり柔軟に栽培されているんですね。

内田さん:「乾田直播栽培」は去年は5haくらいやりましたけど、今年は0ですね。その時の環境で栽培方法を変えています。他にも「無代かき移植」や「湛水直播栽培」もやったりしますが、本当にその時次第。米の品種も、今は10種類くらいで落ち着いていますけど、多い時は20種類くらい作ったこともありますよ。

──それだけ色々とチャレンジされていると失敗することも多かったのでは?

内田さん:それもよく言われるんですけど、例えば全滅しちゃったとか、思った量を収穫できなかった経験を「失敗」と思っていないんですよね。挑戦しているつもりもないんですよ。「この品種は、うちの田んぼに合わなかったんだな」ってことを知れたので、失敗じゃない。
あと「あ〜阿蘇じゃこの品種育たないよ」って言ってくる人もいますけど、「あなたそれ育てたことあるの?」と聞くと育てていない(笑)。育つか育たないかは、1年しっかり向き合って経験した本人にしかわからないから、どんな経験でも「失敗した」とは思わないんです。

──なるほど。失敗ではなく経験できたこととして蓄積されていくんですね。素晴らしい! 長く稲作に関わっている方だと「先祖が〇〇と言ったから」とか「ここには合わないと聞いている」ってふわっとした理由で辞めてしまったり、変化を嫌う農家さんも少なからずいますからね。

内田さん:もちろん長年培われてきた「勘」も大切だと思います。でも根拠で示せないなら、何も対策をしないのは話が別。あとICTとかスマート農業についても「先進的だね〜」なんて言われますけど、そうじゃないんですよ。自分が便利だと思って選んで使っていますから。「使ってください」って頼まれたものを使うようでは、時間の無駄です。自分が気になるものから使ってみて、良ければ続けるし、ダメなら辞める……それだけのことです。

──仰る通り! でもそれがなかなかできないんですよね(笑)。農家さんだけでなく、日本の企業や風土全体にも言えるようなことだと感じました。最後に、内田さんが考える10年後の稲作について教えてください。

内田さん:わ〜難しいな(笑)。正直なところ、「10年後の稲作は大丈夫だろうか?」という危機感が大きいです。後継者がいない産業はどんどん衰退してしまうので、農業を、稲作を魅力的に感じてもらうことから始めないといけませんよね。
現状も「稲作をやりたい」と熱い想いを持って研修しても、独り立ちするところまで支援できる制度がないから2〜3年で結果がでないからと辞めてしまう人が多いんです。独立支援も大事だと感じます。もともと内田農場で働いていた子が独立したんですけど、一緒にお金の話とかができるようになってて。それがすごく嬉しかったんですよ。仲間というか同志が増えていくと良いですよね。
あと今回のコロナでも痛感しましたけど、お米ってあれば安心するんですよね。満腹感だけじゃなく、幸福感もお米は与えてくれると思っています。そんな日本の米文化を守るためにも、もがきながら必死に次の世代にバトンを渡せる努力をしないと未来はないな、と思います。

編集後記
内田農場さんのホームページには、「うまいお米ではなく”日本一使い手から欲しがられる米”を追求し、あそこに頼めば、自分たちのほしい米をばっちり作ってくれるという農場」を目指していると書かれてある。熊本地震や水害を経験しながらも、待ってくれている人のためにと楽しく稲作に取り組む姿に勇気と元気をもらった気がした。10年後、もう一度内田さんに稲作の未来を伺いたいと感じた取材だった。

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